大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)4713号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕成立に争いのない甲第一号証によると、本件記事は、表題部分と内容の記事部分とから成り立ち、内容の記事部分は段落を区切つて前段、中段、後段の三段に分れていることが認められる。そして、右前段は日時、裁判所、被告人、事件名を特定し、求刑と言渡刑を記述した簡潔な記事であること、中段は「判決文によると早出は弁護士の資格をもつていないのに弁護士になりすまし、四十年九月鹿児島市加治屋町、不動産業今吉覚治さんから土地売買のあつせんや登記手続を頼まれ、同年十月十六日鹿児島地方法務局に関係書類を提出、今吉さんの土地七十六平方メートル(約七十万円相当)の登記手続をした。このほか四十年六月にも鹿児島市内で起きた家賃をめぐる紛争の調停をして謝礼を受け取つていた。」という記事であり、その後段は「早出は豊後高田市に住んでいながら一月の間に数日鹿児島市にきて、ニセの弁護士業をやり、生活費をかせいでいた。」という記事であることが認められる。

したがつて、本件記事の内容部分のうち、その前段は何らの問題も生じない。本件で問題とされる中段、後段につき、その記事内容自体からして、中段は判決文の客観的報道であり、後段は判決にかかる事件についての解説的報道であることが明らかである。

思うに、有罪判決のあつた刑事事件を報道するにあたり、「判決」の報道と「判決にかかる事件」の報道とは、厳に区別されるべきである。何故ならば、前者は慎重かつ厳格な手続を経、厳密な証拠判断の上にたつて国家機関たる裁判所がそれだけの権威をもつて言渡す判決そのものの報道であるから、これを報道するものは厳格に客観的に報道すべきであり、いささかも主観的判断を交えてはならず、これに対し後者は、判決以外の各種の資料も加えて、それに依拠して、判決ばかりでなく事件全体についてその全貌、経緯、背景、警世的意義等についても報道されることとなり、それにはおのずから報道者自身の責任による判断を通さざるをえなくなり、そこに両者の差異があるからである。もつとも、判決ないし判決文の報道といつても、常に一字一句判決文と違えてはならず、かつ全文を掲載せよと要求することは無理であり、例えば新聞においては、その使命と読者層にかんがみ、いわゆる社会面の記事については、義務教育卒業程度ないし高等学校卒業程度の学力を標準にして判り易く重点的に報道することが許されるべきことは条理上当然である。しかしながら、その場合でも些かも判決文の趣意を害うことのないよう、曲筆、誇張のないよう厳重に注意すべきであり、そこに少しでも筆誅を加えようとする如き態度をとることの許されないことはいうまでもない。けだし、判決文の報道の名のもとに、報道者の主観的判断の結果を支えた報道をするときは、それまでもが前述の厳格な手続を経た特別の権威をまとつたものとして世人に受けとられることとなり、被報道者の人権を侵害するに至るからである。

そこで、右中段の記事中の「弁護士になりすまし」という表現であるが、「なりすます」とは「成済ます」ことであり、その意味は「全くなつてしまう」とか「なりおおす」ということである。しかし、その「すます」という言葉のひびきが「澄ます」こと、つまり「気取る」ことを意味する別の言葉と同音であるため、そこから受ける語感が重なつて、通俗的には「弁護士になりすまし」というと「弁護士きどりで」つまり「弁護であると詐称した」というように受け取られるきらいがないでもない。これは日本語、殊にその日常語の宿命ともいうべき言葉のあいまいさといわざるをえない。そこで、「弁護士になりすまし」という本件表現は、原告らの主張するように、(イ)「弁護士であると詐称して」とも、(ロ)「一般の人にはすつかり弁護士であると思われる状態で」とも、或は又、(ハ)「その行動において弁護士同様に報酬を受ける目的で、弁護士同様の精通さ熟達さをもつて一般の法律事件について法律事務を取扱つた」ことの表現とも解することが可能である。したがつて、右中段における「弁護士になりすまし」との記事は、本件で争いのない判決文の「罪となる事実」および成立に争いのない甲第三号証(判決書)の末尾の「被告人の主張に対する判断」の説示部分との要約した分り易い表現(すなわち前記(ハ)の意味の表現)として、必ずしも最適なものとは言えないにしても、それを曲筆誇張した誤つた報道と断ずることもできない。

次に、前記後段における「ニセの弁護士業をやり」との記事について検討する。先ず、本件記事を取材作成した記者が、判決文以外にいかなるニュースソースを持つていたかは、本件すべての証拠に徴しても分明でない。しかし、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、原告は豊後高田市に自宅がありながら、昭和三八年頃より鹿児島市内に家を借り折々鹿児島市に赴き鹿児島市弁護士会所属山下兼満弁護士の臨時事務員ないし事務員ということで法律事務にたずさわり、それによつて収入を得ることによつて生計をたてていたことが認められる。そして、この事実と前記甲第三号証中の「被告人の主張に対する判断」すなわち、「成る程、被告人が昭和三八年四、五月頃右山下弁護士から同弁護士の事務員と称することを許され、爾来同弁護士の事務員と称して同弁護士の法律事務の手伝いをしていたことは証拠上認められるが、前掲各証拠によれば、被告人の右弁護士事務員たる資格は、右山下弁護士が訴訟依頼人である今吉覚次等の希望により、その委任にかかる数件の訴訟事件につき被告人の法律知識を利用し、その法律事務を取扱わしめるための便法として付与したもので、事実、被告人が同弁護士の事務員の資格で担当した事務の主たる内容は、単なる機械的、補助的事務ではなく、右訴訟事件に関する事実及び法律問題の調査、検討、証拠の蒐集、訴状、準備書面等各種の訴訟書類の起案、作成等重要な法律判断を含む法律事務であり、しかもその費用、報酬も直接右今吉から等支給を受ける等していたことが認められるのであつて、右資格はかかる法律事務を担当処理するための単なる名目ないしは隠れ蓑ともいうべきものであり、被告人が右弁護士の事務員たる地位にあつたものとは到底認められないばかりでなく、前掲各証拠によれば、被告人が取扱つた判示法律事件は、右山下弁護士の受付事件ではなく、被告人が右今吉から直接委任された事件であり、その事務処理も被告人独自の判断に基づいてなされたことが認められる」との記載を総合すると、前記新聞記事後段の部分は、公開の法廷で審理言渡された刑事事件につき、すべて真実であるか、少くとも裁判所によつて証明されたとされた事実を報道したにすぎないものといわなければならない。問題の「ニセ弁護士業をやり」という部分については、前示のとおり原告が「非弁護士活動を業としていた」ことを日常語をもつて表現しようとしたものと判断するに難くない。この場合言葉を厳密正確に使用するならば「似非弁護士業」つまり「ニセ弁護士業」とすべきであり、「似非」と「贋(ニセ)」とは我が国語上本来異なるものであることは言うまでもないが、しかし、戦後急速に国語が乱れ、その語彙が貧弱化した我が社会の一般的状況のもとにおいて、日常語では殆ど「エセ」という言葉は使用されなくなり、本来の「エセ」も「ニセ」も一括して無雑作に「ニセ」という言葉だけで用が果たされている傾向にあると思われる。したがつて、新聞には本来啓蒙的使命もあるものの、反面社会の現況に鋭く適応する必要もあると思われ、このことは、本件記事の書かれた昭和四三年当時の九州南部地方に限定して考えてみても事情に大差はなく、「非弁護士活動を業としていた」ことを表現するにあたり、一般に使われないでもない判り易い日常語を用いて、「ニセ弁護士業をやつていた」と表現して報道しても、それをもつて曲筆誇張というにはあたらない。したがつて、右後段の記事内容の中から抜萃して、本件記事冒頭に「ニセ弁護士に徴役十月判決」という表題を附しても、これに対する当裁判所の判断は、以上に述べたところと同じである。

(安井章)

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